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校長挨拶

子供は生まれたときから自分の人生を生きている

                                       校長 石川智彦

 私が成田小学校を卒業した昭和53年頃は、日本が高度成長の成熟期に入り、「Japan as number one」という本がベストセラーになるなど、世界経済の中核を担うかのような勢いでした。一方で一般的な家庭はテレビ1台、エアコンはなく、ダイヤル式黒電話1台という生活でしたが、誰もが希望を抱き、生き生きと幸せを追い求める時代でもありました。

 私が教員になった平成元年頃は、バブル経済の絶頂期でしたが、いまだ学校ではテストや通知表などを手書きとゴム印で作っていました。数年後、バブルが崩壊し日本経済は長い低迷期に入りますが、これと入れ替わるようにコンピューターやインターネットの一般化が始まり、様々な分野に展開して、欧米主導のICTがあらゆる構造の基盤になっていきます。

 私がスマートフォンを手にしたのは約11年前、教頭になった頃ですが、このデバイスの出現は、キャッシュレス、ペーパーレスを促進し、SNS等による発信やネットショッピングなど経済活動を根本的に変えるほどの影響を与えました。

 ここまでは約47年間の振り返りですが、一つ気づいてほしいことは、変化の速度が飛躍的に増しているということです。デジタル化に伴う技術革新は今後も止まることなく進み、多様性の進展に伴う社会の複雑化が作用して、未来を予測することがますます難しくなっていくといわれます。人間が作り出しているはずの「AI」と「人間」がどう関わって行くか、ということが世界中の関心事となることにも、その難しさが象徴されているように思います。

 今私たちは、人間は自然環境の中で命を育む生き物であること、心があること、他者と共に社会を営むこと、そして幸せな人生を求めて生きていくこと、を改めて見つめ直し、考えを深めていく必要があります。私たちが「学ぶ」意義は、この考えを深める力、それに基づき行動していく力を身につけることに他なりません。突き詰めれば、自分で「判断する」、「選択する」、「行動する」、「責任を持つ」ことができるように学び続けていくことが、「生きること」の根幹です。

 子供は生まれたときから自分の人生を生きています。親の果たせなかった夢をかなえる存在でも、親の理想を具現化する存在でもありません。ましてや親の価値観や趣向に合わせる立場でもないのです。そして、いつかは親元を離れていきます。家庭、地域、学校が子供達の成長に負う責任は、それぞれの立場で「子供達自身が学び続ける力を身に付けていく」ように支えていくことにあります。

 子供が、自ら抱く夢と希望に向かって前進する力を、共に育んでいきましょう。

 

 なんて素敵な校歌なんでしょう。

  お不動さまの鎮座ます巌と共にゆるぎなくたてる成田の小学校

  清き教えに恵まれてよき国民となるべしと朝夕われらは学ぶなり

  われら幼く道遠く望みの光り輝けりあっぱれ世界の友としてたがいに愛し親しみて

  力を合わせ生きんため学ぶ成田の小学校

 ロシアとウクライナの戦争は未だ終結には至らず、世界を見渡せば、長きにわたって平和から選ざかり、尊い命が失われ続けている国や地域があります。

 戦いを好みただ破壊を目的としている国は1つとしてないと思います。ただ、自国の平和をめ戦いを終わらせる手段として戦うという、矛層に満ちたジレンマから抜けられない姿には心が痛みます。

 国家や民族には、我々が日本人を自覚する諸々と同じように。歴史と文化、その中で培われた価値観があります。戦争に至るまでの課程や戦争そのものの複雑な文脈から、互いに相容れない、命を賭しても譲れない状態になってしまっては、解決に向かう道のりが大変な困難を極めることとなってしまいます。

 ではどうしたらよいのでしょうか。本校の校歌はその湯きを示しています。

 一番は、私たちが学ぶ目的は「よき国民となるため」であると伝えています。

 では、「よき国民」とはどのような姿か、それを二番の歌詞が教えてくれます。

「私たちはまだ幼く人生の道のりは温く続くけれど進む先には希望の光が輝いている。世界中の人々と友好の絆を結ぶ立派な一人としてお互いを大切にし、親しく関わり合い共に力を合わせ、平和な世界で幸せに生きることができるようになるためにみんなで学ぶ、それが成田小学校だ」

 校歌の制定年は定かではありませんが、作詞の白鳥省吾と作曲の弘田太郎の活躍した時代と歌詞の内容から、戦後、国民学校から本校に生まれ変わった頃と思われます。先の大戦を経て、「個性を認め多様性を強し、親しみをもって関わり合うことが平和の要であり、学校はそういう個人となるために学ぶところだ」と力強い願いを込めてつくられたように感じます。

 本校の学校教育目標及び自指す児童の姿は、代々受け継ぐ校制「自主創造」とこの校歌の理念を実践する力を育むものとして定めているのです。

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